今日の雨は「Y」さんの涙

2021年2月15日(月)雨

 

午後2時というのに空は暗く夕方のようである。

雨もしとしとと降り夕方には強い降りになるという天気予報である。

 

昨日、ゴルフ仲間から電話があり、思わず絶句とともに膝ががくがく震えて

暫く茫然としてしまった。

電話は「Y」さんが13日の朝方亡くなったという電話であった。

話の内容は、「Y]さんが10日に熱は38度以上あり、入院。肺炎ということであった。

入院後4日目の朝、脳梗塞で亡くなったということであった。

 

「Y」さんとは、1月の6日に初打ちということでゴルフをしたばかりで、

私共の会社のOBでつくる、「むさしのの集い」という会の幹事を20年以上担って

もらっている、ゴルフが大好きで毎週ホームコースを中心ランウドしている元気な人であった。

私も月一回プライベートのゴルフとして、お誘いを受けている。お誘い受けてから

20年近くなる。

「Y」さんは私より3つほど年が上で82歳になる。最近ラウンドしていても「Y]さんの疲れが

目にみえるようになって来た。私なりに、毎週のゴルフも年齢からいって少し間隔をあけた方が良いのではと秘かに思っていたが、負けずきらいな「Y」さんは毎週ゴルフに行っていたようである。

 

「Y」さんからのゴルフのお誘いもなくなり、「むさしの集い」が今後継続されていくのかわからず、好きなゴルフが暫らく無しの状態が続きそうである。

また、私は3年まえからゴルフのバックスイングが思う様に上がらず、いわゆるイップス病という病にかかり、同伴者に迷惑をかける状態であったが「Y」さんは暖かく見守ってくれた。

今年に入って、どうやらイップス病から抜け出せそうな状態になり、3月の「むさしの集い」のコンペでは、「y」さんの前でハツラツとしたプレイが見せられるかと楽しみにしていたが、それが消え失せ残念な思いである。

 

未だに「Y」さんが亡くなったことが信じられない。

きっとゴルフ場に行った時に「Y]さんの姿が無いことを感じ、また時折り「Y」さんなら、この状態ならこうして打つだろうと思ったりする時に、「Y」さんが亡くなったことを実感するのだろうと思う。

 

まだ、「Y」さんが亡くなったことを受け入れることが出来ない。

 

                               おわり

 

 

 

 

 

寄り添う

2021年2月3日(水)晴れ

 

立春」となると寒さも和らぎ、木々も少し芽生えだし、今か、今かと春を待っているようである。

新型コロナウイルスによる世界的感染も、収束はいまだに見えず、我が国では、2月7日までの「緊急事態宣言」も感染者の高止まりが続き都道府県10県において3月7日まで延長となった。

 

そんな新型コロナ禍の中で、店をたたむ人、仕事を失う人、自殺者、等のニュースが流れる日々である。その中でも若い女性の立場の弱い人の苦悩に心を痛める。

 

彼女「k・k」さんは今どうしてるのだろ。

「k・k」さんとは、15年ほど前に会った以来メールも何も連絡を取っていなかった。コロナ禍のなかで、どうしても気になったのでメールをしてみたが、アドレスが変わったか、届かず。

年賀状を北海道の小樽の実家に出したが、返事が来ず。年賀状の内容は「お元気ですか、私は元気です」というものである。

 

彼女「k・k」さん今は40歳になろうとしているのだろう。私とは親子ほどの年がはなれている。

 

私と「k・k」さとは、私が役職定年という会社の制度で56歳で一般の仕事に着いたときに学卒の新入社員として入社。3年ほど同じ職場で仕事をし助けてもらった。

そして「k・k」さんは入社して3年ほどで退職した。

退職する際に私にお酒飲みますかといって、お酒をくれた。その際に

このお酒は私の母の彼氏がやっているスナックのお酒ですと言ってくれた。

そして、退職する前に一度食事をして、お別れした。

 

その後、しばらく経っても、彼女の「私の母の彼氏が・・・」という少し寂しそうな言葉が私の脳裏から離れず気になっていた。そしてその時の唯一の連絡先、お酒をくれたときに一緒に渡されたスナックの名刺の住所に連絡した。

「k・k」さんからはまだ覚えてくれていたんですかという返事がきた。

それから、たまにメールしたり、小樽から東京に来る時など食事を何度かした。

そして、東京に移住して派遣社員として働きだしたときに食事をしたのが最後で

その後は連絡はとっていない。それも15年くらい前である。

 

食事をしながらの話は、たわいのない話で、終始してしまった。

一度だけちらっと彼女が離婚した父親がどこにいるか知っているという話をした。

私は彼女の生い立ちなどにあまり踏み込みたくなかったのか、また同情がわくのが怖かたのか話をとぎらせてしまった。

 

今思うと、彼女「k・k」さんは自分の生きてきた生い立ち、両親の離婚など

自分の心打ちを話しかったのだろうと思う。また私の歳のころから言って父親と同じころで、自分の父親を重ねてみていたのかもしれない。

そして、自分の悩みを聞いてくれる人など、そうそ巡り逢えるものではないだろう、

本当に申し訳ない。あなたの悩みを、聞いてあげなくて、そして寄り添えなくて・・

 

「k・k」さんが元気でいること。そして結婚して子供を授かり平凡な暮らしをしていることを祈る。   

                             終わり

 

 

 

 

 

 

 

 

  「取り返しのつかない」こと

2020年10月10日(土)飴

「取り返しのつかない」ということは、「取り返したい」と強く思うのだが取り返すことが出来ないことだということを何かの本で読んだ。

例えば身内の者が亡くなりもう一度一緒に生活をしたいと思うのだが、その思いがかなわない。 それが不慮の事故などで亡くなれば、なをさら取り返したいとの思いが強いだろう。

最近、二人の俳優さんが自らの命を絶った。

一人は「三浦春馬」さんであり、もう一人は「竹内結子」さんである。

おニ方とも40歳前後というこれから俳優としての魅力を思う存分発揮する歳ごろで

私ならずともフアンの方も「取り返した」との思いが強いだろう。

 

三浦春馬」さんは10月7日が最終回のテレビドラマ「オカネの切れ目が恋のはじまり」に出演していた。役は社長の息子でお金に無頓着でその軽妙な演技と、特に

笑顔が素敵であった。第4話の最終回では「三浦春馬」さんの姿は無かった。

 

「自から命を絶つ」ということは、残された者がいくら「取り返したい」と思っても

「取り返す」ことが出来なことである。

 

最近のテレビドラマの人気ナンバーワンの「半沢直樹」の場面で、「直樹」が会社で窮地に立っているとき、「直樹」の奥さんが「生きていればなんとかなる」というセリフが胸を打った。

 

お二方のご冥福を祈るとともに、ご本人しか判らないことかもしれないが「生きていればなんとかなる」

「取返しのつかない」ことは残された者が本当につらい思いをするものだとおもう。

 

三浦春馬」さん「竹内結子」さんお二方とも笑顔が素敵でした。

 

                             おわり

 

 

 

 

今年は蝉を何匹か帰せるかな

2020年9月24日(木)曇り

 

すっかり涼しくなり、夏の蝉の鳴き声も、秋の虫の鳴き声に変わってきた。

新型コロナの影響もあるのか、いつもの秋への移り変わりよりも静かで重く感じられる。

 

最近、夏が近づくと、今年は蝉を何匹帰せるかなと思うようになった。、。

というのは、私はマンションの5階に住んでいて、窓からはケヤキの木やその他の樹目が夏になると緑一杯になる。そんなことからか、夏になると蝉がベランダに飛び込んでくる。特に夜、窓の明かりを求めてか蝉が来ることが多い。 、

 

ベランダに飛び込んできた蝉のうち網戸などに止まている蝉は、そのうち姿を消すが

窓ガラスにぶつかった蝉は、どうやら脳しんとうでも起こすのか、腹を上に向けているのがいる。そしてじっと動かず体力を養って飛び立とうとしているように見えるが

どうやら私が思うに、腹を上に向けていると上手く飛ぶこちが出来ないのだと思う。

 

そんな腹を上に向けている蝉をベランダ見つけると、そっと塵取りに蝉を乗せベランダの外へ放り出す。すると蝉は大きく羽ばたいて樹木に向かっていく。その蝉の飛ぶ姿は体中喜びを表している様に見える。

 

そんなことで、私は蝉を帰せると自分なりに言っている。腹を上に向けたま寿命が尽きてしまっている蝉もいる。私が気が付くのが遅かったのか、やはりそれは蝉の運命なのだろう。

昨年は6匹の蝉を帰せた。その前の年もそのくらいの数は帰せた。

今年は2匹であった。命が途絶えた蝉は1匹であった。

今年はベランダに来る蝉が少なかった。

                              おわり

                             

 

 

  

 

 

 

 

 

 

 

兎角この世は住みにくい

2020年7月」18日(土)雨

 

確か夏目漱石の「草枕」の冒頭の文章だと思うが、「知に働けば角が立つ、情けに竿させば流される、兎角この世は住みにくい」といくだりがあるが、最近の私のゴルフがこのような調子である。

 

というのは、3年まえから「バックスグ」時に腕が上がらないという俗にいう「イップス病」にかかり、それ以来ゴルフのスコアはまとまらず、会社の中でもゴルフが上手いといわれていたが、加齢もあるがゴルフが下手の部類に入ってしまった。

そもそも「イップス病」になった要因は単純にゴルフのプレイを早めようとしたため

で、長年培ってきたゴルフのリズムが狂ったからである。

 

この様にゴルフのスコアーが悪くなると、最近同伴者から親切心からだと思うが、ボールの位置が悪いとか、スタンスが方向を向いていないなどアドバイスが多く出るようになった。一応素直に聞くようにしているが、わずらわしいときもある。

 

てなことで、タイトルの「兎角この世は住みにくい」いう気持ちになってしまった。

でも、絶対に上手くなぞ・・・・・

 

この間のゴルフで、テレビで放映されているアマチアのゴルファーとプロが対戦する

ゴルフ番組で、亡くなった女優の夏目雅子さんの弟で小高プロとアマチアが対戦した

番組が放映された。対戦したニ人はゴルフのスタイルが対照的でアマチアはコンパクトのスイングでフアーウエイをキープ。手堅くスコアをまとめる。

高プロは豪快なスイングでボールは隣のコースに行ったりしていた。

その時に小高プロが言った言葉があり、それは「私のゴルフには置きにいくというのは

無い」と言っていた。その言葉を胸にきざんで今回プレーをしてみた。

ゴルフやって50年以上なるが初めてと言ってよいほどクラブが振り切れていた。

フニシュでクラブが背中に当たる感じが得られた。

 

スコアーは悪かったがスイングに於いては気持ちの良い一日であった。

ゴルフを楽しむのはスコアーだけではないような気がしてきた。

 

                    以上

 

 

 

 

 

 

 

 

新型コロナウィルスの中で (2)

2020年7月11日(土)くもり

 

新型コロナウィルス感染も「緊急事態宣言」が発せらたあと、新規感染者数も減り、

少し明るい兆しが見えてきたと思ったら、「緊急事態宣言」解除後には、人々の動き

が活発になったためか、昨日も東京での新規感染者が242人と今までで最も多い感染者数となった。また全国的にも広がりを見せ始め、今後どのようなるのか不安である。

 

そんな中、10年近く通っていた、ウクレレ教室を10月の秋の開講日まで休講することにした。

ウクレレ教室には、同期の親友(3人)と定年退職後通い始めた。

昔会社勤めをしていたころ、この親友とハワイアンのバンドを作っていたことから

昔を思い出して、ウクレレでもやろうと始めた。

 

ウクレレ教室に通いだしてから、数年後に仲間の一人が「うつ病」になり、

苦しいながら、仲間と会えることから教室に通っていた。仲間に会えると「ホッ」とするといつも言っていた。

 

新型コロナウイルスの感染が世間に出回ったころの3月から、彼は教室には来なくなった。

通常の人でも「コロナ鬱」に陥りやすいのに、「うつ病」をかかえてては、なをさら

であろうと思っていた。 先月あたりの比較的感染者数の落ち着いている時には、7月

からウクレレ教室に出てくると言っていたが、このところの新型コロナ感染者の増加のためか、今期の受講期間の9月まで休講したいとのことであった。

 

それで、もう一人の友人と話し、我々も9月まで休講し、10月から再開しようと、

教室に届け出た。

 

ウクレレ教室の受講生も前回の参加者が6人だったので、我々が休むと

淋しいものになるであろうと思う。また、ウクレレ教室の仲間に9月まで休講するということ伝えていないので、心苦しい思いである。

皆と10月に再開できことを期待して新型コロナウイルスに感染しないように

注意をしておこう。

 

一日でも早く新型コロナウイルスの収束を祈るばかりである。

                           おわり

                       

   

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

新形コロナウイルスの中で

2020年6月28日(日)雨

 

新形コロナウイルスが注目されてから4カ月ほど経過している。

緊急事態宣言は解除され、、自宅での自粛から外へと活動を広げている。

人びとが動き出すと同時に、新型コロナウイルスの感染者も増え東京では50人を超える、日が続いている。

 

そんな中、あの方(ブログ:梅の花の咲くころ)と久しぶりにお会いした。

あの方は私が初めて見かけたとき(10年前くらい)から、足を引きずりながら歩いていた。美しい方で、いつも可哀そうにと思って見ていた。そして同じマンションに

住むにことから、逢うと言葉を交わす様になった。

 

コロナの感染が注目されたから、私も必要以上の外出はせづ、あの方も私以上に

新形コロナへの感染に注意を払っていた思うから、お会いする機会が少ないは当然であるが、その間、元気でいらしゃるか気にしていた。

 

久しぶりにお会いし、元気な姿が見られ安心した。

あの方も、マスク越しの目がにこやかに笑い、元気な私をみて安心したようだ。

 

早く新型コロナが収束して、普段の生活・・・朝起きて,散歩をして、買い物をし

すれ違う顔見知りの人と挨拶をかわし、元気な子供の姿を見る。そんな日常が早く来る

と良いのに。                  

                              以上