寄り添う

2021年2月3日(水)晴れ

 

立春」となると寒さも和らぎ、木々も少し芽生えだし、今か、今かと春を待っているようである。

新型コロナウイルスによる世界的感染も、収束はいまだに見えず、我が国では、2月7日までの「緊急事態宣言」も感染者の高止まりが続き都道府県10県において3月7日まで延長となった。

 

そんな新型コロナ禍の中で、店をたたむ人、仕事を失う人、自殺者、等のニュースが流れる日々である。その中でも若い女性の立場の弱い人の苦悩に心を痛める。

 

彼女「k・k」さんは今どうしてるのだろ。

「k・k」さんとは、15年ほど前に会った以来メールも何も連絡を取っていなかった。コロナ禍のなかで、どうしても気になったのでメールをしてみたが、アドレスが変わったか、届かず。

年賀状を北海道の小樽の実家に出したが、返事が来ず。年賀状の内容は「お元気ですか、私は元気です」というものである。

 

彼女「k・k」さん今は40歳になろうとしているのだろう。私とは親子ほどの年がはなれている。

 

私と「k・k」さとは、私が役職定年という会社の制度で56歳で一般の仕事に着いたときに学卒の新入社員として入社。3年ほど同じ職場で仕事をし助けてもらった。

そして「k・k」さんは入社して3年ほどで退職した。

退職する際に私にお酒飲みますかといって、お酒をくれた。その際に

このお酒は私の母の彼氏がやっているスナックのお酒ですと言ってくれた。

そして、退職する前に一度食事をして、お別れした。

 

その後、しばらく経っても、彼女の「私の母の彼氏が・・・」という少し寂しそうな言葉が私の脳裏から離れず気になっていた。そしてその時の唯一の連絡先、お酒をくれたときに一緒に渡されたスナックの名刺の住所に連絡した。

「k・k」さんからはまだ覚えてくれていたんですかという返事がきた。

それから、たまにメールしたり、小樽から東京に来る時など食事を何度かした。

そして、東京に移住して派遣社員として働きだしたときに食事をしたのが最後で

その後は連絡はとっていない。それも15年くらい前である。

 

食事をしながらの話は、たわいのない話で、終始してしまった。

一度だけちらっと彼女が離婚した父親がどこにいるか知っているという話をした。

私は彼女の生い立ちなどにあまり踏み込みたくなかったのか、また同情がわくのが怖かたのか話をとぎらせてしまった。

 

今思うと、彼女「k・k」さんは自分の生きてきた生い立ち、両親の離婚など

自分の心打ちを話しかったのだろうと思う。また私の歳のころから言って父親と同じころで、自分の父親を重ねてみていたのかもしれない。

そして、自分の悩みを聞いてくれる人など、そうそ巡り逢えるものではないだろう、

本当に申し訳ない。あなたの悩みを、聞いてあげなくて、そして寄り添えなくて・・

 

「k・k」さんが元気でいること。そして結婚して子供を授かり平凡な暮らしをしていることを祈る。   

                             終わり